ruangrupa が宿す「情熱」
Story

ruangrupa が宿す「情熱」

Notes on building a community revolving art and humans.

JA EN
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ruangrupa が宿す「情熱」

Notes on building a community revolving art and humans.

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ruangrupa が宿す「情熱」

2026年の初め、ジャカルタを拠点に活動するアーティスト・コレクティブ「ruangrupa」が、「Shared Living Room: DEFOAMAT 2026」のために東京を訪れた。代官山T-SITE、UNIT/SALOON、MIDORI.so、旧朝倉家住宅、そしてWPÜ SHINJUKUなど、街の各所が会場となった。それぞれの場所でさまざまな集まりが開かれ、「展覧会とは完成した作品を見せる場である」という一般的なイメージを覆し、「アートとは作品をつくることだけではなく、人と人との関係を育てることでもある」という、ruangrupaが長年大切にしてきた考え方が自然と表れていた。

2000年、インドネシアの民主化が進み始めたジャカルタで結成された、ruangrupa。まだ存在していなかった「こんな場所があればいい」という思いを、友人たちと一緒に形にしたことが始まりだった。最初は作品を披露するための場としてスタートした活動も、やがて出版やアーカイブ、リサーチ、学びの場づくり、そしてただ一緒に時間を過ごすことへと少しずつ広がっていった。

「ruangrupa」という名前は「かたちのための空間」と訳されることもあるが、今ではその言葉だけでは表しきれない意味を持っている。人とのつながりや積み重ねられた時間、ものごとの進め方そのものを含んだ、一つのあり方のようにも感じられる。そしてそれは、誰か一人によってつくられるものではなく、協働や思いやり、そして「アートは人との関わりの中にある」という考えのもとで、少しずつ育まれていくものなのだ。

ruangrupaにとってコミュニティとは、決して受け継がれるものでも、あらかじめ決められたものでもない。繰り返し出会い、互いに信頼を育み、ときには意見をぶつけ合い、ともに手を動かし、時間をかけて支え合う関係性を通して、徐々に形成されるものである。

この考え方は、活動の形にも表れている。場所がキッチンでも、ラジオ局でも、誰かのリビングでも、あるいは展覧会でも構わない。大切なのは形式ではなく、「人が自然と集まり、知識を持ち寄り、それぞれのペースで関われる場をつくる」という意思そのものだ。

オンラインでのやり取りが当たり前になった今だからこそ、このような場は、人と直接向き合う時間の大切さを思い出させてくれる。そして、学びは学校や美術館のような制度の中だけにあるものではないことにも気づかされる。近所の人や屋台の店主、農家、音楽家、学生、小さな出版社、料理人など、日々を生きる一人ひとりの営みの中には、かけがえのない知恵や経験が息づいている。ruangrupaの考え方は、アートに限らず、私たちの日常にもそのまま重ねることができるように思える。

ruangrupaの活動は、答えを示すことよりも、人と人が出会い、何かが生まれるきっかけをつくることに重きを置いているように感じる。参加した人に同じ結論を求めるのではなく、それぞれが問いや方法、小さなヒントを持ち帰り、自らの文脈の中で生かしていくことを促している。彼らは次のように語る。「問いを持ち帰る人がいてもいいし、やり方を持ち帰る人がいてもいい。自分の場所で応用できる、小さなヒントを持ち帰ってくれたら、それで十分なんです。」

街が変わり続け、人が集まれる場所が少しずつ失われている今だからこそ、この考え方はとても素朴でありながら、深く心に響く。私たちが残していくべきものは、完成された「作品」ではなく、人が出会い、少し立ち止まり、一緒に考えられる「場」なのかもしれない。

Photos by Patrick Carlo Bangit

Edited by Ena Cuizon

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